塾長

ほんとうのこと

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こんにちは塾長の大久保です

 

 

 

ASKAの逮捕以来
僕の中に
ある信念が
生まれました

 

 

 

どんなことでも
「何か理由がある」
「その情報は確かか」

物事をみるときに
僕はいつもこの視点を
無くさないようにしています

 

 

 

 

 

 

 

もちろん
そこに理由があるからと言え
何でも許されるというものではない

でも
その理由に耳を傾ける人がいても
いいのではと思うのです

 

 

 

 

 

 

不寛容社会の到来
と人は言います

 

 

 

 

 

 

社会で一度でも
悪というレッテルをはられたら
皆で一斉に叩く

「こいつは叩いてもいい奴だ」
と世間が思えば
マスコミもテレビもネットも
皆が一斉に攻撃して
本人を追い詰める

それで自殺者がでても
あいつが悪いんだからと
平気で言う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ASKAが
薬物取締法違反で逮捕されたとき
一斉にいろんな情報が
ばらまかれました

 

 

 

 

 

 

 

ASKAの著書
「700番」
(拘置所でASKAが呼ばれていた番号)
を読むと
“関係者発表”や“警察発表”
となっている情報まで
誤っているものがあったそうです

 

 

 

 

 

 

 

ASKAが
警察に「撤回してください」とお願いすると
「広報がしていることだから」と
取り合ってくれない
のだそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こいつは何を言われてもしょうがない」
そういうイメージが
世の中に蔓延し
誰かが
そのイメージの上にあぐらをかいて
その人を陥れるような
情報を平気で流す

 

 

 

 

 

 

 

 

受け手は
そのイメージがあるから
本当かどうかもわからないその情報を
本当のものとして受け取る

 

 

 

 

 

 

 

「本当のこと」か
どうかもわからないのに

「本当のこと」を
知ろうともせずに

その人の「本当の気持ち」を
聞こうともせずに

 

 

 

「いじめはだめ」
と大人は子供に言います
でも、
そのいじめが生まれる瞬間の
「あの空気」を
大人が社会で作り出していませんか?
と、大声で言いたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーンさんが会見をしましたね

 

 

 

 

マスコミは一斉に
ゴーンさんを叩いてますね
いわゆる
マスコミリンチです

だったら
ゴーンさんの会見を
生中継でもして検証すればいいのに
それもせずに
叩くだけ
叩くだけ
叩くだけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに
出国の方法は
まずかったのかもしれない

 

 

 

 

 

 

でもじゃあ
なぜあのような出国の方法を
しなければいけなかったのだろうか

それを考察しているニュースは
僕の知る限り
ひとつもない

 

 

 

 

 

 

 

 

日産の中で
誰に何があったのか
それは
僕にはわからない

 

 

 

 

 

 

 

 

でも
なんで日本でなくて
レバノンにまで行って
会見をせざるを得なかったのか

あれだけ
優秀な人なのだから
なにか理由があると
僕は思うのです

 

 

 

 

 

 

 

 

日本には
だれかそれに
耳を傾ける人は
いないのだろうか

 

 

 

 

そして
なぜ手をさしのべようとしないのか

失敗した人には
「そんな人と関わっちゃダメ」
平気でそういう日本人の大人が多い

 

 

 

 

 

 

 

 

アルピニストの野口健さんが
講演会でこんなことを
お話されていました

 

 

 

 

登山する際の
第一優先事項は命を守ること
だから
山頂まで行かなくても世界は
その選択を讃えてくれる
しかし、
日本は
「なぜ山頂まで行かなかったのか」と
社会に徹底的に責められる
失敗に対しての考え方が
全く違う

不寛容社会とは
まさにこのことだ

 

 

 

 

 

 

失敗した人
間違ってしまった人を
非難する前に
聞いてあげて欲しい
その人の気持ちを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その人がもう一度
歩み始められるように
手を差し伸べて欲しい

 

 

 

 

 

 

 

そして
その人に差し伸べているその手で
自分も救われていることに
気が付いてほしい

 

 

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