塾長

伝わるかな?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは、塾長の大久保です

 

 

 

 

 

 

 

この手の話は
こういう場で書くのは
少々難しいのですが
書きたいので書こうと思います

 

 

 

 

 

 

19日のASKAのブログで
こんな一節がありました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じいちゃんの四十九日の法要」
行ってこいな
じいちゃんは
ただ見えなくなっただけで
生きているんだから

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

これはね
信じる人は信じるし
信じない人は信じないから
それでいいことなんだけど

信じるかどうかでなくて
感じるかどうか
かもしれないですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は
とある体験があって
だから
僕は感じますね

 

 

 

 

 

 

 

 

僕には
持論があって

 

 

 

 

 

 

 

 

亡くなった人って
言いたいこと
伝えたいことが
まだまだきっとあって
それを
いろんな形で僕らに伝えてきている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも
メッセージって
送り手がどれだけ発信しても
受け手がその準備がないと
伝わらないですよね

 

 

 

 

 

 

授業と同じですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから
いつどんなメッセージがあるか
わからないから
僕はいつも耳を傾けているように
しています

耳を傾けているっていうのは
何か少しの変化も見逃さないことです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じつは大連に行ったのも
亡くなった人が
何を言いたいのだろう
どれだけ無念だったろうと
手を合わせに
行ったのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に
大連・旅順の203高地に立って
旅順港をみたとき
そして街で
不思議な体験をしました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は死んだらどうなるかなんて
本当のことは知りません

でも
肉体がなくなって
見えなくなっているだけで
その人は生きているのだと思います
「思い」を伝えようとしている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亡くなった人の話を誰かから聞く
その人の話を誰かとする
それだけで
その人は近くに来てて
僕らの話をずっと聞いてる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして
お墓の前で
手を合わせること
これは
その方と最大の交流を持つこと
と思うのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の話は
少し伝わりにくい
でも
じつは僕が人生で
大切にしていることのひとつ
のお話でした

  • このエントリーをはてなブックマークに追加