塾長

歪んだ合理化

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塾長の大久保です

 

 

もうニュースにもなっていますが

昨日、一人の女性が
自ら命を絶ちました

 

 

彼女のお母さんが今日こう発信しています

「ギリギリのところで
闘っているひとたちの
背中をおさないでください
もう誰ひとりも傷つけないでください」

 

 

耐えれなくなったんですね、きっと。。

そりゃそうだよ、心に刺さるもん。

 

 

多くの芸能人や有名人が
声を上げています
ネット上の誹謗中傷は
もうやめよう、と

 

 

あの辛さは
書かれた人にしか
わかりません

 

 

火のないところに
煙が立つから
怖いわけです

 

 

書き込む側の人間は
匿名をいいことに
好き勝手なことを
書き込んでいますね

 

 

自分を正義だと思い込んで
その正義を貫いている自分は
正しいと

 

 

でも
仮にそれが正義だとしても
人が亡くなるようなことを
してもいいわけがありません

 

 

訴訟のリスクを考えて書いている
記者さんなどが腹に持っている覚悟など
あるわけもなく
何を言ってもいいと思い込んで
クリックするわけです

 

先日、
警察の友人と話をしていましたが
今や、ネット上でも
書き込みは全て
いつ、どこから、どうやって、誰が、
書き込んだのか
全てわかります

 

 

SNSであろうとなんであろうと
全て責任を持たなければ
なりません

 

 

少し前、韓国でも
同様な事件が起こりました
ネットの書き込みが原因で鬱になり
自ら命を絶ったアイドル

 

 

この事件をきっかけに
韓国では
「指殺人」という言葉が
生まれましたね

 

 

「言論の自由」

「言葉のいじめ」

意味が違う

 

 

書き込む人もクズ
拡散する人もクズ

 

 

でもね、
本当の悪は
「どうせ、そうなんだろう」という
心の中にある
“思い込み”です

 

 

「どうせ、そうなんだろう」
「言われても、しょうがない」
「我慢して生きていくべきだろう」
そんな、
皆の中にある安易な“思い込み”が
クズたちの活動を支えているのです

 

 

こいつは
言われてもしょうがない

 

これは心理学的には
「歪んだ合理化」といいます

 

 

そういう心の中の悪が
クズたちを支えているのです

 

 

本当にダメだって・・・
簡単な書き込みが
人の心を傷つけるんだから

 

 

 

 

僕も昔、東京に住んでいるとき
それで悩んでる同僚がいて
彼が横浜駅で
飛び込もうとしているのを止めたことがあります

 

 

 

「今から行くから!」
といって、横浜駅に会いに行きました

 

 

 

横浜駅の端で座って
うずくまっていた彼と
随分話しました

 

 

ネットに書き込んだ人は
書かれた人がどれだけ傷つくか
考えていない
むしろ、
傷つけてやろうと思って
書き込んでいる奴もいる

 

 

もし彼が死んだら
ネットに書き込んだ奴は
それでも
書き込んだことを胸を張って
肯定できるのか?

 

 

「そこまで責める気はなかった」
なんて
書き込んだ後に言うなら
絶対に俺は許さない

 

 

ネットの書き込みは
暴力や虐待と同じです

 

 

書き込んだ奴は
書き込んだ時点で
行為は終わっているんです

 

 

でもね
書き込まれた人は
一生心の傷となって残る

 

 

「謝って済む」なんて
大間違いです

 

 

こんなことを児童相談所で
カウンセラーをしている友人が言っていました

 

虐待をした親は多くが
「ごめんね、ひどいことして」
と子供に言う

 

子供は、親がそういうんだから
「うん、いいよ」
と答えるしかない

 

親は、それで全て終わったものと認識している

 

 

そんなわけないだろ、と

 

 

子供は、
大脳の委縮や、
精神的な不安定を
一生抱えて生きていかなければ
いけない

 

 

一生、責任を負う義務がある

 

 

ネットの書き込みも
暴力も
虐待も
本質は全く同じ

 

 

今回、亡くなった方
本当に
無念です

 

もう一度。

彼女のお母さんのお言葉

 

 

「ギリギリのところで
闘っているひとたちの
背中をおさないでください
もう誰ひとりも傷つけないでください」

 

 

 

 

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