塾長

数学の問題について、あーだこーだすること

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塾長の大久保です

 

 

先日の北千里校での話。

 

 

授業を終えて、

デスクで教材を作っていると

「これって、垂直だから傾きの積が~~」とか

「aの範囲ってどうやってもっていくんやろう・・・」とか

授業ブースからいろいろ声が聞こえてきました

 

 

「お!おもろそうなことしてるな!」と思って

ブースをのぞいてみると・・・

 

 

授業を終えた生徒たちが

とある数学の問題を考えていました

 

 

僕は20年以上、

大学受験の数学の問題を見ているから

有名な問題です

 

 

その問題を、

どう解けばいいのか

あーでもない、こーでもない、と

2人で知恵を絞って

考えていました

 

 

その空間を見て

僕は腕を組みながら

「いい空間だな、、、」と

ワクワクしてしまいました

 

 

大学生のとき

各先生の研究室以外に

数学研究室員が集まれる部屋があって

その部屋には

壁いっぱいに大きなホワイトボードが

設置されていました

 

 

研究室員に対する連絡ボードという

役割もありましたが

そのホワイトボードで

数学の問題や、

数学の問題をどう教えるのかを、

みんなであーだーこーだ言い合う慣習がありました

 

 

ひとつの問題に対して

「その集合の取り方だったら、あとで矛盾が起きるんじゃない?」

「ってか、その置換だと全射にならないよね」

「え、その発想はどこからきたん?」とか

数学修行者たちが言い合っていましたが

 

当時、僕は

それが楽しくて楽しくて

たまりませんでした笑

 

 

大学の数学の問題は難しいから

そんな修行者たちがちょっと議論したぐらいでは

答えなど出ません

でも、答えが出なくとも

「ん~~~~~」と

考えて、考え込むことを

みんなでする場だったのです

 

 

そして

数学の問題でなくとも

教育学部数学科でしたので

教育に関して興味のある人間ばかりでしたので

教育に関しての議論も

多くしていました

 

 

これも、

本当に楽しかった

本当に刺激的でした

 

 

今、この立場になって思うのは

 

たとえ答えが出なくとも

みんなで知恵を絞って

あーだこーだ言っていたあの経験が

じつは

数学を考える上での発想力や考える力に

正に大きく影響していたのだと

思います

 

 

答えを出すことも大事

でも、

たとえ、答えが出なくとも

たとえ、

答えが出たとしても時間がかかっても、

その議論して頭をフル回転して考えた経験は

無駄ではなく、

むしろ

この上ない刺激になるのだと思います

 

 

当時、

研究室の前を通った先生たちが

僕らが議論しているのをおもしろがって

部屋に入ってきてくれました

けして、議論に参加するわけでなく

椅子に座って、

少しの時間、僕らの議論を聞いてくれていました

 

 

教授たちは

議論のテーマの答えを僕らに出すわけでなく

僕らの議論が一層白熱するよう

僕らの議論に方向性を示してくれるよう

そっと、「種」を置いてくれるように

一言だけ助言をして、立ち去っていくのです

 

 

その助言が、

絶妙なものでした

さすがとしか言いようのない一言でした

 

 

話は戻しますが

とある問題をあーだこーだ議論していた彼らを見て

自分の大学時代の研究室を思い出しました

 

 

一人が

「大久保先生、ヒントください」

その声に

そっと一言だけ(本当は二言笑)、

言葉を投げて僕は塾を出ました

 

 

生徒たちから

「先生、解けました!」と

LINEがきたので

僕も解答を作って写メしました

 

 

生徒から

「答えは一緒でしたが

僕の記述に難がありそうなので

今度の授業で見てください」

とのLINEがきました

 

 

能動的に勉強ができているな、よいよい

そう思って、LINEを閉じましたが

 

 

本当にいい空間でした

 

 

塾を作ってよかった、

そう思えるほどの

感動でした

 

 

 

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