塾長の大久保です
もう、
一斉授業の時代を含めると
何千人って教えてきたと思います
保護者の方も
もう何百人もお話してきたと
思います
そのうえで
思うことがあります
子供が
いまいち本気にならない
とか
やる気が出ない
これで
困っている人が
生徒も保護者も
かなりいるわけですが
その原因の一つとして
考えられることがあります
あくまでも
原因の一つですが
これはかなりの割合で
あてはまると
僕は考えています
それは
親から子供への
「与えすぎ」です
「過保護」とも言いますね
勘違いして欲しくないのは
「裕福」がいけないとは
一言も言ってません
裕福でもいいんです
お金持ちでもいいんです
問題は
子供への「与え方」の部分です
子供が幼いころから
何でも欲しいものを与えて
育ててきた場合
子供は
このように学びます
「欲しいものは親が用意してくれる」と
簡単な例でいうと
子供が転んで泣いているとき
いつも
「痛かったね、かわいそうね」と
だっこして起こしてあげて
ばかりいると
子供は
転んでもいつも
「起こしてもらえる」と思います
けして
自分で起き上がろうとはしません
また、
幼い子供が泣いたときに
お菓子を与えて
なだめていると
子供はお菓子が欲しくなったら
泣くようになります
それは
泣けばお菓子がもらえる、と
経験的に学ぶからです
なんでも
泣けば与えてもらえると思うので
自分で何かを得ようと
行動に移すことをしません
泣けばいいのですから。
でもこれって
子供は何も悪くないのです
べつに
子供をかばっているわけでは
ありません
親が、
そのような「思考のプロセス」を
無意識のうちに
子供の心の中に
構築してしまったからです
何でも欲しいものは
自分が行動しなくても
親が与えてくれる環境で育った子供は
その「思考のプロセス」を
何にでも適応します
なぜなら
楽だからです
簡単に手に入るからです
イメージで言えば
おなかがすいたとき
自分から食べ物を探すことをせず
口を開けていれば
親が食べ物を入れてくれた
そうやって育てられてきた子供
咀嚼して飲み込むだけしか
しません
もしかすると
咀嚼することも
してこなかったのだろうね
と思える子供もいました
これは物だけに
限ったことではありません
「環境」もそうですね
欲しいときに
子供に湯水のように
お金を与えて育てた場合
子供は
お金は簡単に手に入るもの
としか、とらえません
子供が
勉強したいときに
毎日のように
塾へ行かせて育ててきた場合
自分で勉強をしよう!とはならず
「いつも誰かが教えてくれる」から
どうせなんとかなる、と思います
このように育ててきた親は
みんなとは言いませんが
たいていの場合
自分を
「いい親」と思っています
何不自由なく物を与え
何不自由なく環境を整え
育ててきたことに
高い誇りと強い自己肯定感を
持っていることでしょう
でも
その「何不自由なく」が
子供の、未来の自由を
奪っていることに
気が付いてほしいのです
おなかがすいたときに
口を開けていれば
食べ物が手に入る環境で
育った子供は
おなかがすいても
自分で食べ物を
探すことをしません
転んだ時に
助けてもらってばかりいた子供は
転んでも
ずっと泣いてばかりいて
自分で立ち上がろうとしません
それと同じです
何かに憧れて
「未来の自分もこうなりたい!」
と強く思い
その想いによって自ら行動する
その行動のうちの一つが
「勉強」ですよね
何かを願い
それを叶えるには
どうすればいいのか考え
苦しくても行動する
これが大切なのですが
与えられてばかりいる子供は
これが全くできません
無理もありませんよね
考えなくても
与えられてきたのですから
こうやって
育てられてきたのに
急に
「やる気をだしなさい!」とか
「本気になりなさい!」とか
「塾に行かせてるのに勉強しないんです」とか
言われて
子供は困惑するわけです
子供も自分ではわかりません
「なんでこんなに
やる気が出ないんだろう・・・」
「やらなあかんって
わかってるんですけど・・・」
そりゃそうです
狩りへ行く必要がなかったのに
急に、
なぜ狩りにいかないんだ!
って言われるのですから
長くなりましたが
ハングリー精神とは
よく言ったもので
大切なことは
「不足している」という状態が
人を動かすのです
いつも満ち溢れている人間は
自分で考えることを
しません
不足している
でも、
与えてもらえるわけではない
だから
自分で考えて行動するのです
子供がなにか不足しているとき
それを大人が判断して
すぐに与えるその行動は
子供が自分で考える機会を
奪っているのです
不足しているのはなぜだろう
どうすれば手に入るのだろう
こうやって
子供と一緒に考えてあげれば
いいのです
そして
ときには
不足していることを
じっと耐えさせることも
大切なことです
耐えさせること
待たせること
これも
子供に「考えること」を促す
絶好のチャンスなのです
与えるだけ与えといて
いきなり
自分で歩いてみろ!というのは
本当に、親の乱暴です
幼いころから
与えるばかりでなく
不足している状態を
学びの絶好の機会ととらえて
一緒に寄り添ってあげて欲しいと
思います
そして
僕は思います
貧乏はけして悪いことではない
こどものハングリー精神を養う
絶好のチャンスなのです
でも
裕福ならば
裕福であることはなぜなのか
それは
偶発的に起こったことでなく
これも
誰かが不足している状態から
行動し手にしたものであることを
学ぶ機会であると僕は思います
けして
与えすぎないでください
自分で考えることのできる
自分で行動することのできる
そんな子供に
なってほしいと思います
全くの余談ではありますが
私たちの体をつくる
細胞の一つ一つにある
ミトコンドリア
鼻から吸った空気に酸素が
含まれていますが
ミトコンドリアは
この酸素を使って糖を分解し
アデノシン三リン酸(ATP)を
生成します
このATPが
生命の維持の役割を果たします
このミトコンドリアが
活発に活動する条件は
「飢餓」です
ある研究者によると
絶食することで
ミトコンドリア反応し
活性するそうです
人も
ミトコンドリアも
不足していることが
大切なのですね