塾長

数学、お休みをいただいてすみません。

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塾長の大久保です

 

 

 

塾生の皆さん

保護者の方々

身内の不幸とはいえ、

おやすみをいただいてしまい

本当にすみませんでした

 

これから

本番まで精いっぱいさせてもらいますので

よろしくお願いいたします

 

 

その

お休みをいただいていたときのお話です

書こうかどうか迷ったのですが

書かせてください

 

 

 

 

 

 

息子がいまして

早いもので3歳10か月になりました

 

 

 

最近の息子は

「〇〇は何からできてるの?」

という質問が好きなようで

 

 

朝ご飯の時には

「スプーンは何からできてるの?」

 

飛行機の図鑑を見ながら

「ANAは何からできてるの?」

 

 

ときには

 

 

「火は何からできてるの?」という

とても鋭い質問をしてきます

 

 

「なんで、時間はあるの?」

「なんで、今は8時なの?」

「1月はなんで終わったの?」とか、

時間に関する質問も多くなってきました

 

 

 

そういう鋭い質問をしてくるときは

「りっくん、今の、いい質問だね!!」と

抱きしめながら

積極的に言葉がけをするのですが

 

 

 

すると、息子は

その僕の言葉を覚えたようで

 

 

 

自分で質問をした後に

「りっくん、今の、いい質問でしょ?」と

自分で言うようになりました笑

 

 

 

3年前に生まれたばかりの息子

が、もう、

こんなに喋ることができるようになり

愛しい気持ちが増すばかりです

 

 

 

こうやって

日々、成長を遂げていく息子は

いつか大人になって

 

 

もしかすると、いつか

息子も家族をもって

 

もしかすると、いつか

息子も僕の歳になり

 

もしかすると、

今日の僕と同じように

自分の子供を愛おしく思う日が

来るのかもしれません

 

 

 

そのときには

僕や妻は

当然ですが歳をとっていて

歩くのもやっと、な

そんなかもしれません

 

 

 

こうやって

いつか子供が世界を継いでいくのだと

思うのです

 

 

 

世代交代です

 

 

 

大人はいつか

子供に席を譲る

子供は

大人が託したものを手にして

“ その子なりの大切なもの ” を大切にして

歳を重ね

そして、また

次の世代に席を譲るのです

 

 

 

こんな素晴らしいことは

ありません

 

 

 

 

先日、

叔父がなくなりました

76歳でした

 

 

叔父には大変お世話になりました

若くからアメリカに

永住している叔父は

 

僕や妹たちを、

小学生のころから

毎年アメリカによんでくれて

「海外」というものを

言葉でなく肌で感じれるように

教えてくれました

 

 

 

その叔父は昔、

中学1年でアメリカへ行きました

英語が何もわからないまま渡米し

必死に勉強をし

世界的にも有名な名門の大学に

進学しました

 

 

 

日本の大手ゼネコンに就職し

ヨーロッパや中東に進出し

グアムやハワイが観光地化するとき

叔父は

大手の建設会社の太平洋支社長として

多くのホテル建設に携わりました

 

 

 

歳を重ねてからは

そのまま現地に住むことになりました

 

 

 

多くは書きませんが

仕事一筋に生きてきたおじに

子供だった僕は

本当に大切にされてきました

 

 

 

いまだに覚えているのは

僕が学生だった頃

叔父が東京駅の大丸で

「しん(僕)が、

好きなものを食べていいよ」と、

高価なステーキを食べさせてくれたこと

 

 

 

お金がなかったので

あのときは本当に嬉しかったですね

 

 

 

 

そんな叔父が、先日

急死したのです

 

 

塾生には

こんな大切な時期に

本当に申し訳ないのですが

体が不自由な父を連れていかなければならず

僕と父で現地に飛びました

 

行かせてもらったおかげで

叔父が火葬される前の最後の姿を

見ることができました

 

 

父は、阪大生だったころ

阪大の利根山寮で

叔父と一緒に語り合ったことがあるそうで

それを今でも鮮明に覚えているそうです

 

 

叔父の話をするときは

父は本当に楽しそうで

目を輝かせて話をしてくれます

 

 

父にとって叔父は

頼りになる兄であり

信頼できる父親のようでもあり

「憧れ」のような存在だったのかも

しれません

 

その叔父の最後の姿に

涙を流しながら

長い時間、手をあわせていた父

 

 

息子として

「きっと、父が一番複雑な思いなのだろうな」

叔父を見る父のその小さな背中を見て

思いました

 

 

 

火葬場からの帰り道に、

叔母が

 

「しん、子供はいいね

見ていて本当に幸せになるね

こうやっておじさんが亡くなって

そして、

新しい子供が生まれて大きくなって

しん、こうやって受け継がれていくのよね

子供は本当にいいよ」

と、つぶやいていました

 

 

叔母は何気なく口にしたような感じでしたが

僕は、その言葉が刺さりました

 

 

 

僕らのこれまでのストーリーを

受け継ぐのが子供であり

その子供を大切に育てることが

僕の人生の大きな使命なんだ、と

僕は思いました

 

 

叔父が亡くなったように

いつか僕もその順番が来る

でも、

それでも僕らのストーリーは

息子が継いでいき

そして、またその子供に・・・・

 

 

言葉で語らなくとも

言葉で継がなくても

語り継がれるものがあるのです

 

 

 

教育もそうです

僕の生徒たちで数学の教師をしている人間は

たくさんいますが

僕の教え方を参考にしている人間もいてくれます

 

 

今、育てている弟子もそうです

この弟子は僕の直系の弟子なので

僕の持っているものは

出来るだけ彼に渡していきたいのです

 

 

僕がいつかいなくなる時が来ても

その弟子が僕の想いを継いでくれると思います

 

 

話が

それてしまいましたが

 

 

叔父の

最後の姿を見て

「おじさん、

本当にありがとうございました。

長い人生、お疲れ様でした。

僕、頑張るから見ててください。」と

心で伝えました。

 

 

そして

帰りの飛行機の中で

窓から見える海を見ながら

おじさんの姿を思い出して

「これからも、

理一朗を、立派な人間になるように

僕なりに頑張って育てよう

大切なストーリーを継いでくれる人なのだから」

と心から思いました

 

 

 

おじさん、

本当に本当に長い人生を

お疲れさまでした

 

遠いお空の上から

理一朗のこと

妻のこと

僕のこと

見守ってください

 

よろしくお願いします

 

 

 

 

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