塾長

今年もお手紙ありがとうございます

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こんにちは、塾長の大久保です。

 

 

 

センター試験は
もうすぐそこですね
なんとか乗り越えて
2次試験まで
頑張ってほしいと思います

 

 

 

 

毎年
ある保護者の方から
お手紙をいただきます

お母さんに了承を得ています
これから
お話させてもらいます

 

 

 

 

 

 

今、
僕38歳なんですけど
20代から30代のはじめの頃のお話

 

 

 

 

 

 

僕は
全国区の大手の予備校で
数学を教えていました

 

 

 

 

 

↓これですね

 

 

 

 

 

ありがたいことに
大学卒業してすぐに
採用していただきました

 

 

 

 

 

数年後
多くの方のお力添えがあって
おかげさまで
自分の名前の付いた講座を
持つことができました

 

 

 

 

 

 

 

 

予備校の職員の方々の
お力のおかげで
各校舎の僕の講座は
申し込み開始後すぐに
満席で売り切れになるほどに
までなりました

 

 

 

 

 

 

嬉しかったですね、本当に

満席で申し込めない生徒には

申し訳なかったのですが・・・

 

 

 

 

 

 

謙遜ではなくて
いろんな人の力が
あってのことです
ありがたいお話です

 

 

 

 

 

 

この講座ですね

 

 

 

テキストに書いてある僕の言葉を
コピーしてノートに張ってる生徒も
いました

 

 

 

僕も受験生のとき
大尊敬する数学の先生のテキストのお言葉を
何度も何度も読んで覚えていましたね

 

その言葉が

日々の励みになっていました

 

 

 

 

 

当時の予備校は
座席は自由でしたので

200人超が入る教室の
最前列2列に座るために
早朝から予備校の前に列が出来たり
そんな時代でしたね

 

 

 

 

 

 

 

そんな当時
今でも
忘れられない
生徒がいました

 

 

 

 

 

 

 

千葉県の津田沼にある校舎の
男の子の生徒

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の授業を
本当に楽しみにしてくれていて
毎週火曜日
津田沼校で授業をする曜日には
朝、僕が

津田沼駅の改札から出てくるのを
彼は待っていましたね笑

 

 

 

 

 

 

 

駅から校舎までの5分間
一緒に歩いていく間に
いろんな質問をしてくれる
生徒でした

 

 

 

 

 

 

数学のこと
教える、ということ
人生のこと

 

 

 

 

 

 

 

彼は
津田沼校の授業は
毎回かかさずに出てくれていました

 

日曜日に行われる

不定期のイベント授業など
遠く、立川校や町田校にまで
足を運んでくれるほどの生徒でした

 

 

 

 

 

一番びっくりしたのは
津田沼校の授業で
「今週末は、栃木の小山で講演授業でさ~」
と言ったときがあって

 

 

 

 

彼、新幹線で小山まできましたね笑

 

 

 

 

そんな彼は
勉強に対して
本当に熱心で

工学部志望でしたが
教育学部の数学科を目指すことに

なりました

 

 

 

 

 

その彼は
学期の途中で
ある病気がわかり
入院することになりました

 

 

 

 

 

 

その報告のときに
お母さんとお話したのですが
驚いたことがありました

 

 

 

 

 

 

これまでさぞかし勉強してきたのだろうと
僕は思っていたのですが
僕の授業を受けるまでは
全く勉強をしなくて
テキトーに私大でもいいやって
考えていたそうです

 

 

 

 

 

そのときの彼からは
想像もつかない・・・

 

 

 

先生の授業を1回受けて
そのあと先生とお話して
そこから変わったと
お母さんから
その時初めて聞きました

 

 

 

 

 

人は

小さなきっかけで変われるものです

 

 

 

 

 

 

入院が決まって
彼が僕に
その報告をしに来た時には
講師室で涙を流していました

 

 

 

 

 

「授業に出れないことが本当に悔しい」と

 

 

 

 

 

 

報告を受けて
涙を流す彼を見ながら
「この子はどうなってしまうのだろう」
とショックでした

 

 

 

 

 

なんとかしてやらないと
彼の人生を

 

 

 

 

 

 

入院中も勉強がしたいと
言っていた彼
僕は、あるものを準備しました

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の授業を
録音している生徒にお願いして
そのデータを頂きました

また

板書もその生徒にお願いして
コピーをしました

 

 

 

 

ありがたいことに
それを毎週
予備校の職員の方が
病院まで送ってくれました

 

 

 

 

 

 

みんなが彼の力になりたいと力を貸してくれました

 

 

 

 

 

 

 

そういえば
お母さんには了解をとって
本人には内緒で
病室まで行ったときも
ありましたね

 

 

 

 

 

個室だったので
ホワイトボードを用意してもらい
その部屋で
彼だけに
1問だけ授業をさせてもらいました

 

 

 

 

 

あのときの彼の笑顔
忘れられません

 

 

 

 

 

 

そのあと
本人とお母さんとお父さんと
そして僕の4人が
涙を流しながら
話をさせてもらいました

 

 

 

 

 

 

彼は
病気と闘いました

 

 

 

 

 

 

お母さんが言うには
病室でずっと
授業の音源を聞いてくれていた
そうです

 

 

 

 

 

 

 

体はだいぶ弱くなっているものの
彼は無事に退院することが
出来ました

 

 

 

 

 

 

 

じつは
この回復1番目に
出てくれた授業が
この写真の授業でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人で歩けない彼は
車いすで予備校まで来て
教室に座っていました

 

 

 

 

 

彼に了解をとった上で
彼の話を授業で
200人に向けて
しました

 

 

 

 

 

 

教室の生徒は
涙を流して
僕の話を聞いてくれていました

 

 

 

 

 

 

彼の頑張りは
この教室の多くの受験生に
届いたと思います

 

 

 

 

 

そのとしの受験は不合格でしたが
彼は
病院に通いつつ
もう一年頑張って
国立大学の教育学部数学科に
見事に合格します

 

 

 

 

 

 

 

予備校まで報告に来てくれて
「先生のように
人を元気にできる
人を救うことのできる
先生になります」

彼は元気に僕に話してくれました

 

 

 

 

 

色紙にサインを頼まれたので

「願うものがある限り
人間の可能性は
果てしない」
と、書かせてもらいました

 

 

 

 

 

 

お父さん、お母さんも
本当に嬉しそうでしたね

 

 

 

 

 

 

 

しかし
彼の元気な姿をみるのは
それが最後でした

 

 

 

 

 

 

 

今年も
お母さんからお手紙を
頂きました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「息子は短い人生でしたが
先生に出会えたことが彼の人生の
最後にして最大の幸せだったように
親として思えるのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年、このように
お言葉をいただきます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕思うのですけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人はきっと

 

 

 

夢を叶えるために生きる、とか
誰かを心から愛する、とか

 

“心のエネルギー”を
全力で使うことのできる瞬間が
最も輝くのだと思うのです

 

 

 

 

 

 

彼は

夢を叶えようと生きたあの瞬間は

彼は最高に輝いていたように思うのです

 

 

 

 

 

彼のその頑張りは
多くの人間に勇気と強さを
与えたに違いありません

 

 

 

彼と今、もし話せるなら
僕は彼に
こう言いたい

 

 

 

 

お前は俺の中で生き続けてるからな!

また、質問にこい!

 

 

 

ありがとうな!

 

 

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