こんにちは、塾長の大久保です。
作詞家で作家の
なかにし礼 さん
の御著書
「我が人生に悔いなし」
その中で
ブラジルの小説「アルケミスト」に
触れています
少年が
老人に会います
老人
「お前は自分の運命を発見した」
少年
「運命って?」
老人
「お前がいつも
やり遂げたいと
思っていることだよ。
誰でも若いときは
自分の運命を知っている。
どの仕事に就きたいとか
誰と結婚したいとか
若いころは全てがはっきりしている
全てが可能だ
自分の人生に
起こってほしいと思う全てのことに
憧れるのも
全く恐れない
ところが時が経つうちに
“不思議な力”を身に着けるようになる
その力が
自分の運命を実現することは不可能だと
人間に思い込ませるのだよ」
その“不思議な力”とは何なのか
老人
「人は人生のある時点で
自分に起こってくることを
コントロールが出来なくなる
ある思いによって
人生を支配されてしまうのだ
しかし
それは世界最大の嘘なのだ
出来なくなるのではなく
出来ないように決めるのだ
なのに、
大人たちは皆その嘘を信じたがる
世界中の人間が
世界中の本が
人は自分の運命を選べない、と
皆、声高にその嘘を言い立てる」
これこそが
その“不思議な力”です
老人
「人は
人生の中で
生まれてきた意味を知る
誰と一緒になるのか
何になるために生まれてきたのか
なのに
それを諦めてしまうように仕向ける
その“不思議な力”は
日夜私たちの意識に入り込み
私たちの中で
それがあたかも正しいことのように
心に居座る」
老人は続けます
「この地上には偉大な真実がひとつある
お前が誰であろうと
何をしていようと
お前が
何か本当にしたいことは
地球におけるお前の使命なのだよ
自分の運命を実現することは
人間の唯一の責任なのだ
お前が本当に望むものは
宇宙全体が協力して
それを実現するために
助けてくれるものなんだよ」
子供が大人になることとは
一般的に常識を身に着けること
冒険を避けて安穏な道を行くこと
他人とうまくやっていく術を身に着けること
そうして生きていくことが
人間として社会で生きていく上で
大切なことと教えられ
身に着けていきます
しかし
それを身に着けていくことで
僕らはいつしか
「計算」することをも学んでしまう
のではないだろうか
世界に対する計算
他人に対する計算
そして
自分に対する計算
「あの人はこれぐらいだから」とか
「私はこのくらいかな」とか
こんなふうに身の丈を
自分自身で計算し
その枠の中で
生きていこうとする
変化を起こすことを
多くの人は嫌うから
その枠の中で
なんとか済まそうとする
でも
その計算は
本当に合っていたのだろうか
僕らはこうやって
世界最大の嘘を
信じ込んでしまう
僕らが
本当に
たどり着きたい場所は
どこだったろう
受験生の皆さん
今は試験の直前だから
しんどいでしょう
辛いでしょう
現実だけを見続ける
それも勿論大事
だけどね
現実を見ると
僕らはすぐに計算して
枠を作りたがる
でも今だからこそ
思い出してほしい
受験を決意したあの日の気持ちを
あの日
君は自分に対する「計算」なんかしないで
なりたい自分だけを見ていたはず
今だからこそ
あの自分を思い出そう
あの日の熱い気持ちを
もう一度思い出してほしい
もう少しです
頑張ってください
追記
オリヴィエ・メシアンのオペラ
「アッシジの聖フランチェスコ」で
一人の迷える修道士が
聖フランチェスコに
尋ねます
修道士
「師よ、私の運命はどこにあるのでしょうか」
聖フランチェスコ
「運命とは、
あなたが進みたいと思う方向に
あるのですよ
他のことを考えずに
あなたが目的とするもの
それがあなたの運命です」
英語やフランス語の
「運命」は
destiny ,
destin,
destinee
「目的地」
destination
似ているのは
偶然でしょうか