塾長

男として尊敬します

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こんにちは、塾長の大久保です

 

志村けんさんがお亡くなりになりました
「バカ殿様」
「だいじょうぶだ~」など
小学生の時に番組を見て
テレビの前で笑っていたのを
今でも覚えています

 

お色気のシーンがでてくると
恥ずかしかったりしました笑

 

 

1968年2月のことだそうです

卒業を控えた
都立久留米高の3年生の志村さんは
弟子入りを志願して
「ザ・ドリフターズ」のリーダー
いかりや長介さんの
自宅前に立ち続けたそうです

 

最初は
当然ながら拒否されたそうです

 

しかし
何日も何日も通いつめた
ある日のこと

 

雪が降りしきる中で
12時間も立ち続け
頭にも雪が積もっていた志村さんの
姿を見て
いかりやさんが志村さんに

 

「家に入れ」

 

と言ったそうです。

 

修業がはじまりました
その6年後
ドリフターズに入ることに
なったそうです

 

 

志村さんは番組で

 

「自分の未来は
それしか考えれなかった」

 

と、言っていました

 

高校生の志村さんは
決して
自分の身の丈をはかることなく
「自分のしたいこと」に
素直に行動したのだと思います

 

使命と
出会ったのですねきっと

 

こんなことも
おっしゃっていました

 

「俺は基本的に
人に笑われるのが
好きなんだよな。
トークとかで人を笑わせるのじゃなくて
自分が笑われるのが好きなんだ。
『笑い』を出して
それに対して笑われるのが好きなんだよな」

 

「遊んでるように見せるんです。
見てる人に
『いいよなあ』
『遊んでるみたいで』って
思わせておいて、
その実、
中身はしっかり一生懸命やっている
というのが一番。
人が自分をばーっと見てて、
一瞬だけ面白ければいいんです。」

 

プロだなって思います

 

 

「先生っていつも楽しそうですね」
今も言われることがありますが
昔は
いつも生徒や保護者の方に
言われてきました

 

授業はきっちりしますが
どこか仕事と思っていない
楽しいことをしている、と
思ってもらえてたのだと思います

 

でも最近は
生徒から
「先生、めっちゃ疲れてない?」とか
保護者から
「先生、ちゃんと寝てますか?
お休みとってますか?」とか
言われることが
多くなりました

 

これはきっと
疲れてるんだろうなって
どこかで
思わせてしまっているのですもんね

 

 

反省ですね
そんなとこ
生徒や保護者に見せちゃ
ダメですよね

 

薬物で
何度も失敗をされてきた
田代まさしさんに
志村さんは
ずっと手を差し伸べてきた
とも聞きました

 

田代まさしさんのことを
誰がなんて言おうと
田代まさしさんのことを
志村けんさんは
見捨てなかったそうです

 

志村けんさんはきっと
田代まさしさんのことが
人間として
好きだったんだと思うのです

 

男として
ほっとけなかったのだと
思うのです

 

何度失敗しようと
何度誤ろうと
「お前は本当にばかだな笑」って
笑って言える仲だったのだと
思います

 

それだけ
志村さんも
きっと失敗してきたの
でしょうね

 

救いのリレーですね

 

そんな
温かい男
懐の広い男
そんな70歳になっていたいと
男として惚れます

 

各国が
志村けんさんの訃報を
報じています

 

志村さん
どんなお気持ちですか?

 

雪の中
いかりやさんの家の前に
12時間も立っていた少年は
70歳になるまでに
こんなに多くの人に
笑いと幸せを
もたらしたのですね

 

男として
本当に感動し
本当に惚れます

 

志村けんさん
お疲れ様でした

 

39歳の僕なんかが
言えることではありませんが

 

ゆっくり
ゆっくり
お休みになってください

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