塾長の大久保です
私事で恐縮ですが
今日で
40歳になりました
最近読んだ本によると
40歳は
人生の折り返し地点だそうです
僕の10代
勉強や大学に無縁だった僕でした
が、
数学の教師になりたいと思い
大学へ行くために
勉強することを決意し
直後に受けた模試の偏差値が32
地獄から這い上がるように
毎日勉強し
国立大学教育学部数学科へ
進学しました
まだ残しています、僕の赤本
僕の20代
お金が無い大学生時代は
貧しかったけど不幸では
ありませんでした
大学生の時も
卒業後も
毎日とにかく数学を学び
毎日とにかく数学の問題を解き
毎日とにかく数学の授業をし
いろんなものを
体系化したように思います
毎日大問で20題解いて
それを毎日解説し
それを20代でこなしました
このときの経験が
30代の僕を支えた力の1つだと
思います
大手予備校で数学を教えていました
そのときの僕の授業です
僕の名前の付いた講座で
300人満席でした
そういう時代でした
このときに教えていた生徒から
多くの数学教師が生まれました
僕の作ったテキストで
教員採用試験の勉強を
してくれたことや
採用試験の模擬授業で
僕の授業で使っている
<item>や<approach>を使ってくれて
今でも高校の授業で
使ってくれているのを知ったとき
心から嬉しかったです
もちろん、今でもです
僕の30代
株式会社を起業しました
「自分のやりたい方法」で教育するための
「自信塾」を創りました
経営なんて
何も学んでいない僕だからこそ
経済的効率、儲けを第一にするのではなく
「すべき教育を生徒にする」
それだけを考えて運営することを
心がけてきました
儲けだけを考えて
甘い言葉だけを口にして
笑顔だけ振りまいて
保護者にぺこぺこするような
そこらへんに大勢あるような塾ではなく
「本気で子供を教育する」塾を、
と、こだわってきました
だから
考え方が違うご家庭は
入塾をお断りしてきましたし
周りの安っぽい塾と
同じように自信塾を扱おうとする保護者や
子供の失敗を未然に防ぎ
子供をかわいがることの意味を
はき違えている保護者とは
何度もけんかしてきました(笑)
この僕のこだわりが
生徒の成績を上げているのだと
心から思い
これこそが自信塾の
アイデンティティーだと
思うのです
その部分で自信塾の教育に
賛同してくださっている方が
今では本当に多くて
感謝しています
僕の株式会社の年商は
いつしか大台を超えました
念願の
「大久保自信奨学会」も
設立することができました
したいことを大切にし
自分の感性を
大切にして生きることを
尊重しました
「生徒に勉強を教えているだけでは
生徒は勉強は出来るようにならない」
「もがき苦しんだ奴でないと
才能があっても開花はしない」
「ダイヤモンドとゴールドは
非常に大きなパワーを秘めている」
「本当の教育的愛情は
この瞬間の失敗を
防いで助けるのではなく
この瞬間の失敗を敢えてさせて
理由を学ばせ
一人で歩ける人間にすることである」
そんなことを
実感して言葉にした
30代でした
そして
今日40歳になりました
「四十不惑」
この言葉を
うちの家内から教わりました
30代の人生の時間を経て
僕の使命は
数学を生徒に教えることで
より多くの生徒の夢を叶え
生徒たちを
「使命の舞台」に立たせることだと
心から感じています
そのための
より大きな自信を
30代で得ることができたと
思っています
だから
40代では
30代で得た「自信」を手に
自分が正しいと思う方法で
どんどん数学を教えていこうと
思っています
「使命を果たす40代」
にすることを
ここに強く誓います
でも・・・
30代の最後に
僕は
顔面神経麻痺を患いました
保護者の方には
大変心配をおかけしました
またいろんな方に
大変助けられました
本当にありがとうございました
お医者さんにも言われましたが
あれは
体から僕への“サイン”だと
認識しています
だから40代は
空いている時間を
めいいっぱい
授業をするのではなく
少しでも
使命を果たす事ができるよう
長く続けられるよう
仕事の「仕方」を考えていく40代にも
しようと思います
30代のときのように
毎日12時間授業を
30日間するような
無謀な働き方はもうしません笑
これからどんな10年を
過ごすのだろう
50歳を迎える
2031年3月7日は
どんな気持ちでいるのでしょうか
少しバカなお話に脱線しますが
きっと僕は
エルメスのかばんをもって
ブルガリのネックレスとブレスレットをつけて
ロレックスの時計をつけて
数学を教えながら
ばか笑いをしている僕がそこには
居るのでしょうね
ロレックスも
日本人が好きな
落ち着いた雰囲気の
「デイトジャスト」でなく
ダイヤモンドのギラギラの
金無垢の「デイデイト」を
30代でつけているわけですから
きっと僕はもう
落ち着くことはないでしょうね笑
10年後には
どんな時計をつけているのかな
ま、そんな話はいいとして
40年、
こんな落ち着きのない
僕を育ててくれた両親には
感謝です
癌を患って以来
すっかり小さくなってしまった父ですが
僕がこの仕事に就いたのは
父が塾の経営者だったことも
一理あると今では思います
生徒に囲まれる父
今日は
僕の誕生日ですか
40歳の誕生日ということは
40年もの間、父には
心配をかけて苦労をかけて
来たのだろうと
息子なりに思うわけです
普段は何もしてあげれないから
だから
僕の誕生日ぐらいは
父に感謝の気持ちを伝えて
「40年、よう頑張ってくれました」と
父をねぎらう1日にしようと
思います
今は亡きお母さん
そして、お父さん
40年もの間
ごめんな
そして
ありがとうございました