塾長

社長仲間で毎回話すこと 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 

塾長の大久保です

 

 

僕も

端くれながら社長を

していまして

そんな僕にも

社長仲間がいまして

 

(コロナの前です)

 

 

 

 

 

その仲間と

食事をしながら

いろんな話をします

 

 

 

バカなお話で

大笑いもします

 

 

そして、

真面目な話もするわけで

経営のお話

人間のお話

 

 

 

 

そんな中

決まってする話があります

 

 

 

僕の周りにいる社長は皆

モノを創り出すという

仕事をしています

 

 

ある友達は

ネット上でHPなどの

サイトを創り出す人

 

 

ある友達は

和食の板前さんで

料理を創り出す人

 

 

ある友達は

建築家で

建物を創り出す人

 

 

他にもたくさん

 

 

僕も

授業を創り出す仕事を

しています

 

 

いつも話をしていて

皆で不思議だね、と

思うことがあります

 

 

 

創り出すモノが違うのに

お互い職人として

“大切にしていること”が

同じなんです

 

 

大切にしていること、

それは、

職人として

プロとして

“譲れないこと”、

と言ってもいい

 

 

 

それは

「プロとして

自分の感覚を大切にすること」

 

 

 

 

こうしたい

こうしてやりたい

こっちの方がいい

こうすべき

これはだめだ

全ての「感覚」を

どんな理由があっても

軽視しないこと

無視しないこと

 

 

 

例えば、

僕の仕事で言えば

同じ問題を教えるのでも

生徒の数だけ

解説の方法を変えます

 

 

 

生徒は皆

性格も、

能力も、

数学的体力も、

目標も、

おかれている立場も、・・・

どの要素をとっても

全て違います

同じ人間なんて絶対いません

 

 

 

僕は、

生徒のそのすべての条件を

把握したうえで

それに合わせて

最も適切と思う解説の方法

をとります

 

 

 

この

「どう解説を変えるのか」

ここが最も大切なところで

これこそ

僕の「感覚」なのです

 

 

同じ問題でも

何一つ同じ解説は

ありません

 

 

だから、

そのときの僕の直観が

そう言ったのなら

それが唯一の正解で

そして

その正解を、

他のいかなる条件でも

揺るがしてはいけないと

思うのです

 

 

 

 

友達の板前が

食材の状態を

見て触れただけで

一瞬で見抜いて

同じ料理でも

その日によって

微妙に調理の仕方を

変える話と同じですね

 

 

 

食材の状態が違うのに

味付けや火加減を

一意的に決めて料理するなんて

ありえない、

その言葉、まさにそうです

 

 

 

この感覚を

いかなる条件があっても

無視はしてはいけないと

思うのです

 

 

 

また、例えば

こうあるべきだ、と思うことも

同じです

 

 

 

これは

自分にも、そして生徒にも、です

 

 

 

例えば、自分に対して

僕は担当している生徒全て

テキストを変えています

これは、

現状のレベルも

目標も違うのに

同じテキストで勉強して

いいわけないと思うからです

 

 

 

だから僕は

生徒の数だけ

テキストを作るので

これが

僕が担当できる生徒の数が

極めて限られる理由でもあります

 

 

そして

勉強は

勉強を教えているだけでは

出来るようにはなりません

 

 

勉強に対するあるべき態度

受験に対してあるべき態度

親に対してあるべき態度

勉強の内容とは

程遠いことかもしれない

だけど

こういう部分を

ないがしろにしている生徒は

いくら勉強を教えても

出来るようになりません

 

 

 

その生徒の全部とはいいませんが

そういう部分にまで

気を配っていかなければ

そういう部分にまで

指導していかなければ

勉強は出来るようになりません

 

 

 

もっといえば

たとえ勉強ができるようになっても

そういう部分が

出来ていないのであれば

僕からすれば

そんな奴、意味がありません

 

 

 

もちろん

自信を持って言えますが

このやり方を貫いているから

僕の生徒は

数学が出来るようになるわけで

これからも変えるつもりも

ありません

 

 

 

そうあるべきだから

こうするのであって

これからも

僕はこうしていく、のです

 

 

 

また、

生徒に対して

こうあるべきだと最も思っていることは

「成功するには努力するしかない」

ということ

 

 

 

僕は生徒に

徹底的に努力をさせます

 

 

それは

「努力を続ける体力」を

つけるためであり

 

 

それは

効率のいい勉強をする方法は

泥臭い努力をした人間にしか

見出せないからであり

 

 

それは

苦しい思いをして成功しないと

本物の自己肯定感は

育たないからであり

 

 

それは

いつか人生の逆境に立った時に

胸を張って

努力することを選択できる強さを

備えてもらうためであり

 

 

 

だから

僕は生徒に徹底的に

努力をさせます

 

 

これらの

こうあるべきだと思うことに

頑固なまでに

忠実です

 

 

 

それが

僕のプロとしての

アイデンティティーだからです

 

 

 

今、

いろいろ書かせてもらいましたが

どの社長も

それぞれの世界で

合致することがあるようなのです

 

 

「今の大久保さんの話って、

例えば俺の世界で言うと・・・」

と、みんなが

自分の世界での話に置き換えるのです

僕はそれが

刺激で嬉しくてしょうがないのです

 

 

 

みんな

創り出す職人です

創り出すモノが違えど

職人としての大事にしていること

職人として譲れないこと

これは同じなのです

 

 

 

そして

 

 

ここに理解してもらえない人には

僕は授業はしないし

自信塾に来てもらわなくてもいい

とさえ思います

 

 

 

「塾に来てやってる」

という態度を

(こういう人って

僕には出さないのだけど)

事務員に

あからさまに出す人には

来てもらいたくない

 

 

僕のやり方に

賛同する生徒が

一人だけになっても

僕は曲げる気はないし

その生徒一人に

全力で授業をします

 

 

 

生徒が減るから

儲けることができないから

そんな

極めてくだらない理由で

自分のこの感覚を曲げてしまうなら

自信塾でなくなってしまうと

思うので

塾経営なんて辞めてしまった方がいい

 

 

 

これは

僕の授業が

毎年満席になるから

言ってるのではなくて

さっきも言ったけど

たとえ賛同する生徒が

最後の一人になっても、です

 

 

 

だからこそ

今年の受験生が

全員国立大学に合格したのは

本当に嬉しかったし

僕自身の自信にもなったわけです

 

 

 

 

いろんなものが

機械化される時代に

なりつつあります

 

 

 

そしてそれは

教育の世界も

例外ではありません

 

 

生徒が出来ない部分を

AIがみつけて

その弱いところの授業を

タブレットで見る、

そんな時代になりました

 

 

 

僕はそれを採用しないだけで

それに対して

この場で

いいとか悪いとか

言う気はありません

 

 

 

 

コロナになり

タブレットで遠隔授業をする

そんな学校や塾が

急増しました

 

 

 

自信塾でも

それを希望する声が2件

あったのも事実です

 

 

 

でもね

「大久保先生の授業は

あの緊張感のもとで

直接受けることに

意味がある」

「タブレットとか

絶対しないでください」

そんな

生徒や保護者の声の方が

圧倒的に多かったのも

事実です

 

 

 

嬉しかった、本当に

 

 

 

どれだけ便利になっても

どれだけ安価になっても

それが本当に

良い物かどうか

それが本当に

必要な物かどうかは

全く別の話と思うのです

 

 

目と目を合わせて

言うからこそ

耳に残るのではなく

心に残るものが

あるのだと

僕は思います

 

 

 

人が最後に信じるのは

やはり、

人なのだと思います

 

 

飲み会の最後、

職人である僕らが

話をしていて

必ずたどり着く言葉があります

 

 

「こだわりを捨てたら

そこら辺の奴らと

同じになるもんな」

です

 

 

だから

僕は、僕らは

いつまでも

大切にしていくことを大切にする

職人で居続けようと

思うのです

 

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加