塾長の大久保です
今年、
国立大学の数学科に
合格した生徒から
数学の質問が来ました
「先生、これ、どういう意味ですか?」
と写メが来ました
どうも
提出の期限が次の日だったようで
「しょうがないな~」と言いながら
不本意ながら
証明を教えました
なぜ、不本意なのか
教えるのが
めんどくさかったのではありません
もったいないな、
そういう気持ちでした
それは
時間をかけて
その式の意味を考えることこそが
「数学をする」ということの
大きな意味と喜びのひとつだと
思うからです
だから
国立大学の数学科へ
せっかく入ったのだから
僕が教えるよりも
しっかり考えることができる
いい機会なのにな・・・
と思ったのです
いかに早く正解にたどり着けるのか
いかに近道で正解にたどり着けるのか
その方法をいかに多く
知識として知っておくことができるのか
これが
大学受験で求められる
「数学の力」の一つです
(すべてではありませんが・・・)
しかしこれは
大学受験の「試験」という
枠組みで求められることで
あるわけで
「試験時間内に解かなければいけない」
からこそ
そのような力が問われるわけです
でも
それは数学をすることの
本質的な意味ではないと
僕は思います
大学生になれば
そこから解放されます
大学生は
どれだけ考えても
いいのです
自由なのです
だからこそ
時間に追われることなく
わからないその式
わからないことに
じっくり向き合ってほしいのです
僕が大学生のとき
ゼミの教官の深石先生に
こんなことを言われました
1時間でも、1日でも、1週間でも
わからないことに
じっくり向き合えばいい
自分の頭で
じっくり考えなさい
その
向き合った時間だけ
数学の力はつくのですよ
まさに
その通りだと
思います
大学生には
わからないことを
わからないと認めて
すぐに答えを求めるのではなく
その自分の頭で
じっくりと
向き合ってほしいと思います
そして
これは数学だけではありません
例えば
教育学部の仲間で
お酒を飲みながら
朝まで
教育問題を
語り合っていたこともありました
給食費の未払いの児童に
給食を与えるべきか
経済格差と教育格差
文系だからと
私大は数学を入試科目から
はずしてもいいのか
いろんなことを
話し合っていました
これも
また同じだと思います
答えが出なくとも
自分の頭を使って
実際に考え、
発信することが
大切なのです
それが
大学の授業では得られないが
大学生が通るべき
学びであると思います
わからないことに
しっかりと向き合って
自分の頭で考えること
答えの出ない事でも
自分の頭を使って
考えてみること
大学生の間に
たくさん経験して欲しいと
思います