塾長

恩師と

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塾長の大久保です

 

 

7月

高校時代の恩師の山村先生と

飲みに行ってきました

 

理一朗を

抱いてもらいました

 

 

お土産をもらいました

奥さんの好きなGODIBA

 

 

 

僕、今40歳なので

もう20年以上前からの

お付き合いです

 

 

じつは

山村先生は

高1と高3のときの担任でした

 

 

高2のときの担任に

就職を勧められたのですが

大学受験をしたいと思って

山村先生に相談をしました

 

 

「大久保、頭の回転は速いから

ものになるかもしらんから

勉強やってみ?」

その言葉が

僕の数学人生の始まりでした

 

 

そのときの

僕と山村先生

 

 

「とりあえず、模試うけてみ?」

といわれ受けたベネッセの模試

数学の偏差値が32

英語の偏差値が30

 

 

そりゃそうですね

中学生のとき

一切勉強をしなかったのですから笑

 

 

その模試を受けたのが高2ですが

勉強は

中1の数学から始めました

連立方程式が解けなかったのですから

 

 

 

山村先生は

勉強ができなかった僕に

期待してくれました

「今のお前は何もできないけど

お前は頭の回転が速いから

やればできる」

何度も言ってくれました

 

 

山村先生が居なければ

僕は

他の先生たちの

「そんな無理をせずに就職したらいいねん」

の言葉に

流されていたかもしれません

 

 

あ、他の先生たちの

指導を憎んだり恨んでいたりとか

全くありませんよ?

だって

高2の模試の偏差値が30の生徒が

「大学へ行きたい」と言い出したら

就職を促すのは

けして間違っているとか怠慢だとかでなく

「普通」に考えると

ごく標準的な指導だと思うのです

 

 

だから

責めているわけではありません

 

 

山村先生や

自信塾の僕の指導が

「普通」ではなく

「特殊」なのだと思います

 

 

 

でも

その特殊な指導が

生徒の可能性を引き出しているのです

 

 

 

さて

話を戻しますが

 

 

 

山村先生は

数学が出来ない僕を

けして

見捨てたりしませんでした

何度質問に行っても

丁寧に教えてくれました

 

 

 

理屈を理解しなければいけない問題は

理屈を徹底的に

教えてくれました

 

 

 

何度聞いてもわからない僕を

受け入れてくれたのは

山村先生だけでした

 

 

 

誰になんて言われようと

泣きながらでも

僕は毎日数学をしました

 

 

そのときの

僕が使っていた赤本です

 

 

 

高3のときの僕が書いた言葉

 

 

 

 

 

中1の連立方程式が

わからなかった僕

数学の偏差値が32だった僕は

国立大学教育学部数学科へ

入学しました

 

 

大学生のとき

山村先生は

僕の母校の「放課後講習」の

数学の授業の講師に

僕を選んでくれました

 

 

月に2回

母校の生徒に数学を教える機会を

与えてくれました

 

 

その授業の後

毎回、

山村先生が食事に連れて行ってくれて

いろんなお話を聞かせてくれました

本当に勉強になったのを

覚えています

 

 

 

余談ではありますが

そのとき僕が教えた生徒が

国立大の理学部数学科へ合格し

今現在、

大阪府立高校の超進学校の

数学教諭として

頑張っています

嬉しい限りです

 

 

そんな機会を

与えてくれた山村先生は

僕が大学の4年のとき

大手予備校の数学講師の

採用試験に合格したことを

喜んでくれました

 

 

 

大学4年生の僕は

山村先生の連れられて

天王寺の近鉄百貨店の

リーガルにいき

山村先生は僕に

革靴を買ってくれました

 

 

大学4年の当時の僕は

本当にお金が無くて

大学の学費を払わないといけなくて

大学4年の同級生が行く卒業旅行に

行けなかったんです

それぐらい

お金がありませんでした

 

 

1500円の

ボロボロの革靴をはいていた僕に

山村先生は

ピカピカのリーガルの靴を

買ってくれました

 

 

「大久保、頑張ってきたもんな」

その山村先生の笑顔と

そのときの店の光景を

今でも覚えています

 

 

僕は

山村先生に買ってもらった

そのピカピカの靴をはいて

プロとしてのはじめての教壇に

立たせてもらいました

 

 

こんなペースで思い出を

書いていたら

きりがありませんので

このぐらいにしますが・・・

 

 

そのあとの人生でも

何度も山村先生に

アドバイスをいただいて

ここまで歩いてきました

 

 

胸を張って言えることは

 

 

僕の数学の人生は

山村先生が

数学も何も出来なかった僕を

受け入れてくれて

さらに

期待をしてくれた

そこからはじまりました

 

 

 

だから

 

 

 

僕は

自信塾で

どれだけ数学が出来ない生徒でも

どれだけ勉強が苦手な生徒でも

受け入れるのです

 

 

僕は

一人の男として

どれだけ人生に迷っている人間でも

どれだけ失敗してはみでた人間でも

僕は分け隔てなく

お付き合いをします

 

 

もっと言えば

 

 

 

数学ができない生徒や

人生を立て直したい人間を見ると

まるで

昔の自分を見ているようで

ワクワクします

心の底から

「頑張れよ!応援するから!」

という気持ちになるのです

 

 

 

数学のテストで0点の奴が

京大工学部に

sin30°の値が言えない奴が

名古屋大医学部に

 

 

それは

山村先生が僕にしてくれたことを

繰り返しただけなのです

 

 

けして

今の姿だけで判断するのではなく

その子の持っている能力を

見出して

受け入れてあげて

期待して指導すること

 

 

 

これが「教育」だと

思います

 

 

 

山村先生は

食事をするたびに

「いつも、大久保ごちそうさま」

と言ってくれるのですが

 

 

いやいや、先生

こんなことぐらい・・・

あなたがこれまで僕に

してくれたことを考えたら

何をさせてもらっても

恩返ししきれませんよ・・・

 

 

 

これからも

よろしくお願いいたします

そしてこれまで

本当にありがとうございました

 

 

 

 

あなたは

会うたびにいつも

誉めてくれます

 

 

僕は

どれだけ頑張っても

教育者として

あなたに追いつけないと

思いますが

僕はあなたに

数学を教えてもらって

本当に幸運です

 

 

これからも

あなたの生徒として

甘えさせてもらいますので

何歳になっても

こうやって

飲みに行かせてください

 

 

あなたに出会えて

本当に良かった

 

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