塾長

自信塾は、なぜ「自信」塾なのか。 

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塾長の大久保です

 

 

明けまして

おめでとうございます

本年も

どうぞよろしくお願いします

 

 

2022年

塾長日記の1本目は

なぜ塾名を「自信」塾にしたのか。を

お話させてもらいたいと思います

 

 

 

 

僕は高2の時に

ベネッセの模試ですが

数学の偏差値が32でした

 

 

 

 

学期末面談で担任の先生に

「大学へ進学したい」と

担任言うと

「無理やろ」と笑い飛ばされました

その光景は、今でも覚えています

 

 

2人の先生以外

全員にとめられました

 

 

先生だけでなく

大事な友人にも

塾の面談でも

です

 

 

 

「え、本気?無理やろ笑」

「今からやって、うかるわけないやん」

「お前なんか、やっても勉強できるわけないやん」

「勉強とかいいから、もう遊ぼうぜ」

「国立大学とか、うちの高校から無理やで」

「中学校の数学からやり直さなあかんねんで?」

「偏差値32で国立いったやつなんて聞いたことない」

「うちの塾で、キミの高校から大学うかったことないよ」

「やるだけ無駄やのになんでするん?」

「その高校選んだ時点で、もう人生きまったようなもんやで?」

 

 

 

今、思い出しただけでも

この言葉たちは脳裏に

やきついています

こんな言葉達をずっとずっと

言われ続けてきました

 

 

 

何を言われても

「そんなん、やってみなわからんやん」

「なんでそんなん勝手に決めるん」

その言葉を頭の中で叫んで

そのネガティブなシャワーを

ずっと浴びて歩き続けました

 

 

 

もちろん

気が弱くなっているときも

ありました

そのときはその言葉に

体ごと寄りかかって

空元気のようなときもありました

 

 

 

「皆が言うように、無理なんかな」

「勉強なんかやめて、皆と遊ぼうかな」

そんな気持ちの時も

1度や2度ではありません

 

 

 

「大学へ進学」という選択は

高校の先生にも大反対されましたが

2人だけ、

数学の山村先生

生物の内垣先生だけは

「お前、頭の回転はやいから

やったらモノになるかもな。

本気でやってみ?」

そう言ってくれました

 

 

 

「自分のことをわかってくれている」

その安心感は絶大でした

山村先生とは

今でもお付き合いさせてもらっています

 

 

 

中2の数学の勉強から始め

中3、高1、高2、・・・

それまで

全く勉強をしていなかった僕ですから

まるで乾いたスポンジが

水を吸うように

どんどん頭に入っていくのが

わかりました

 

 

「そういうことやったんか!」

なんて思いません

だって、それまで

勉強をしていなかったのですから

わからない、とか

不思議だな、とか

なんでかな、とか

思ったことが無かったから

「そういうことやったんか!」なんて

思うわけがないのです

教えられたこと全てが

「新しいこと」なのです

 

 

まるで

旅行で来たことのない土地で

見たことのない景色を見ているような

そんな新鮮な感情が

勉強を進めるごとに

僕の心を満たしてくれました

 

 

 

それは

勉強が辛いな、

なんて感情では全くなくて

「へ~!そうやって解くのか~」という

感動の連続です

 

 

 

合格するまで

いろんなことがありました

 

 

全国模試で偏差値70をとったこと

新聞配達をしたこと

母親が他界したこと

妹が入院したこと

 

 

「しん(僕のこと)は、本当は出来る子なのよ?」

ずっとそう言って

僕を励ましてくれていた母

棺に入った動かぬ母を見て

「もう本当にいないんだ」と

覚悟を決めたのを

今でも覚えています

その母に

僕の合格を見せてあげられなかったことが

心残りではありました

 

入学式のあの日

自分の顔写真が入った大学の学生証を

空にかざしたのを

きっと見てくれていたと思います

 

 

そして

 

 

国立大学に合格したとき

「やればできるんだ」

強烈にその感情が

沸き上がってきました

 

 

 

僕は器の小さな人間だから

ネガティブな言葉を

かけ続けてきた人間を見返す気持ちも

勉強のモチベーションになっていましたが

合格した瞬間には

その人たちを

はじめて許せる気持ちにさえなりました

 

 

 

やればできるんだ

僕は国立大生なんだ

そう思うたびに心の中に湧き上がる

頑張った“自分を好きになる気持ち”

自分を肯定できる“すがすがしい気持ち”

 

 

そのとき僕は

自信に満ち溢れていました

 

 

それが20代前半のできごとです

 

 

今は40歳なので

あれから約20年

いろんなことがありましたが

大学受験で得た

“やればできる”という自信は

どんな壁が現れても

挑む一歩目を踏み出す「勇気」

逆風が吹いても風を切る「強さ」

弱ってももう一度立ち上がることの「意味」

それらを僕に与え続けてくれました

 

 

そして、それは今もです

 

 

 

人が生きていく上で

大切なことは

きっとたくさんあるのだと思います

僕もまだわかっていないことも

身に着けていないことも

たくさんあります

 

 

 

 

でもきっと

人が生きていく上で

最も大切なものは

「自分を信じる心」

すなわち

「自信」だと思うのです

 

 

 

歩みをとめない力

たとえ、歩みが止まっても

もう一度歩みだす力

それは全て

自分を信じる力、

自信なのだと思うのです

 

 

その自信は

少しの小さな成功を重ねて

自分自身に

「やればできるんだぞ」と

教えてあげなければいけません

 

 

 

少しずつ少しづつ

小さくてもいい

小さな成功を重ねることで

心の中に「できるのかな?」

という気持ちが芽生え

その気持ちを、また成功を重ねることで

「できるようだ、でもまだ、」にかわり

さらに成功を重ねることで

「できるんだ自分」に成長します

 

 

そして

この一連の

心の成長と

努力という行為

全てによってもたらされた結果によって

「やればできる」

が生まれると思うのです

 

 

この一連のプロセスこそ

この「大学受験」だと思うのです

 

 

単語を一つ覚える

数学の問題がひとつ解けるようになる

それらは

ほんの小さなことです

本当に小さな成長です

 

 

しかし、その

ほんの小さな成長を

毎日毎日積み重ねることで

いつかは、長文が読めるようになり

いつかは、数学の大問が解けるようになり

できるかな?

から

できる!

にかわっていくのです

 

 

 

「できるわけないよ」

「できるのかな?」

「できるかもしれない」

「できるようになったかも」

「できるようだ」

「できる!」

 

の流れです

 

 

 

そして

大学受験で成功することが

自分を最大限肯定できる機会となり

大きな自信を得るのです

 

 

僕は、高校生のあのとき

勉強をすることを

選択していなかったら

この仕事に就いていないだろうし

この文章も書けません

 

 

でも

あのとき、導かれるように勉強を始め

何が何でも勉強を続けて

国立大学に合格し

そのとき得た自信、

その時に僕の心に灯ったその火を

これまで大切に燃やし続けて

今の僕がいます

 

 

僕のようになれ、なんて

そんな偉そうなことは言いません

でも、

大学受験で確固たる自己肯定感を

得て欲しいと思うのです

 

 

だから

「自信」塾なのです

 

 

多くの生徒がこれまで

自信塾で夢を叶えて巣立っていきました

僕の教え子の中には

数学の教師になって

僕の考えを

伝え続けてくれている生徒もいます

 

 

 

僕が死ぬまでに

一人でも多くの人間が

僕が数学を教えることで

自信をつけて

人生を歩んで欲しい

 

 

心からそう思います

だから

「自信」塾なのです

 

 

 

(ここからは、自分勝手な話)

 

そうすれば

僕がたとえいなくなっても

その考え方は

ずっとずっと

生き続けると思うのです

 

 

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