塾長の大久保です
こういう話は
こういう場所では
難しい話なんですけど
思うところがあるので
書かせてもらいます
僕は戦争には反対です
どんな理由があろうと
戦争には反対です
そして
悲しいことに
これまで多くの戦争が
行われてきました
今、ここにある平和は
これらの戦争で
亡くなられた人たちが感じてきた
悲しさ
苦しさ
不条理
悔しさ
そして、死
それらの上にあるものだと
思っています
戦争で、亡くなる瞬間
家族を想ったのでしょうか
子供を想ったのでしょうか
死にたくない、と
思ったのでしょうか
今の平和は
それらの感情の上にあると
思うのです
だから
亡くなられた多くの方々に
僕は
心から思うのです
大変なことでした
あなた方のおかげで
僕らは今、平和に生きています
安らかにお眠りください、と
手を合わせて言葉にするのです
今日は
沖縄全戦没者追悼式が
糸満市の平和祈念公園で
行われました
77年前の
1945年
3ヵ月にわたり
沖縄にアメリカ軍が
攻め入ってきました
多くの民間人が犠牲になりました
ガマに避難した
民間人の中に
赤ちゃんがいて、
その赤ちゃんの泣き声で
居場所がばれてしまうと
皆が殺されてしまうので
その場で、子供を捨てること
その場で、子供を殺めることを
強要されたそうです
それに従った母親も
少なくなかったそうです
想像してください
自分の子供を殺めることを
僕は
涙が止まりませんでした
息子の理一朗を
この手で殺めるなんて
その行動を
選択し実行した
母親を責めているのではないです
お母さんも
そうするしかなかったのでしょう
そんな選択を
させてしまった“戦争”が悪なのです
教えてください
どういう正義があれば
自分の子供を
殺めれるのでしょうか
どういう常識があれば
自分の子供を
殺めれるのでしょうか
そんなもの
正義でも常識でもないと
僕は思います
お母さんに
そんなことをさせた
戦争が悪いのです
そんなこと
おかしいと思っていた人も
少なくないはずなのに
それが言い出せない
言い出せたとしても
貫けない世界にしてしまった戦争が
悪いのです
77年前
悔しくて
悲しくて
たまらなかった
そんな思いの中で
亡くなられた多くの人達に
心から
手を合わせたいと思います
追伸ですが
手を合わせたいという
同じ気持ちで
以前、
中国の大連・旅順に
行ってきました
実際に
203高地で手を合わせてきました
この時の話は
また書きますね