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誰もが「使命」を持って生まれてくる

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塾長の大久保です

 

 

先日、

優里さんのコンサートに

お招きいただいて

優里さんのお話を聞かせてもらい

感動しました

 

 

 

路上で

ギター1本で歌を歌っていた優里さんが

今、こうやって大きなホールで

これだけの人数の前で

歌を歌われているのを

感じさせてもらい

 

 

そして

コンサートのそのあと

個人的にお会いさせてもらい

お話を聞かせてもらい

 

 

「やっぱり、そうだよな」

と思ったことがあるので

少し長くなりますが

書かせてもらいます

 

 

 

 

 

じつは

前からこの塾長日記で

何回も何回も何回も何回も

書いてきたことなのですが

 

 

 

人は皆、

「使命」をもって生まれてくると

思っています

 

 

 

使命は

「命を使う」と書くように

その人が命を尽くしても

その人がやるべきこと、です

 

 

 

「それ」をするために

生まれてきた

「それ」をするために

神様が、

その人に願いを託して

生まれてきた、とも思っています

 

 

 

でも皆が

使命を果たすわけではないのも

事実なのです

 

 

 

自分の使命に気が付かずに

命を終える人

 

自分の使命に気が付いていても

違う道を歩むことを

選ぶ人

 

いろいろな人間が

居ると思います

 

 

 

 

その使命に

出会うには

どうすればいいのか

 

 

 

その使命に

気が付くには

どうすればいいのか

 

 

 

人が

したいと思うこと

行きたいと思うこと

欲しいと思うこと

会いたいと思うこと

それらの「願い」には

全て理由があると

これもここで書いてきました

 

 

 

その理由こそ

神様が

僕たちに仕込んできたもの

だと思うのです

 

 

 

つまり

 

 

 

僕らは

使命を持って生まれてきた

しかし

若いときの僕らには

自分の使命が何なのか知らない

 

 

 

でも

したい、見たい、行きたい、欲しい

という「願い」

 

 

そして

理由はわからないけど

どうしようもないぐらい

楽しいことがあるだろう

 

 

 

それは

僕らの中にある、「使命の種」が

使命に僕らを近づけているのだと

思うのです

 

 

 

僕の友人が

小学生の時に料理を作って

美味しいと言ってくれる人の

笑顔を見ていると

鳥肌が立つほど

心の中から喜びが溢れてきた

この気持ちのままに

料理人になったように

 

 

僕らの中にある

でもまだ表に出ないその

「使命の種」が

僕らの心の中の

「喜び」や「願い」という感情を

サインとして

僕らをまだ気が付かぬ「使命」に近づけていると

思うのです

 

 

 

夢を叶えている人は

みんな

この「喜び」や「欲求」に

忠実に従って

使命にたどり着いた

 

 

 

人が最も輝くのは

心から楽しいと

思うことをしているとき

 

 

心から楽しい、と思えること

それは、使命を果たしているとき

 

 

だから僕は

若い人には

楽しいと思えること

したいと思うことに

素直に忠実であってほしいと

思います

 

 

いろんな生き方が

あっていいと思うから

どれかを称賛して

どれかを否定するつもりは

ないけれど

 

 

 

安定、とか

報酬、とか

そういう目先のもので

自分の気持ちにふたをするのは

やめて欲しいな、、、

 

 

 

「喜び」や「願い」とは

未来からの

明確な【道標】なのです

人生をかけてでも

命を尽くしてでも

するべき「使命」が

僕らに語りかけている「声」なのです

 

 

 

 

こういう場で語るには

なかなか厳しいのですが

僕が若者に一番言いたいことなので

書かせてもらいました

 

 

もう一度言います

 

 

楽しい、嬉しい、

これをやりたい、

ここに行きたい、

この感情は、全て

あなたが持って生まれた使命に

導いてくれる声なのです

あなたを使命に導いてくれる

「道標」なのです

 

 

すくなくとも

僕や優里さんは

そうだったのです

 

 

きっと

あなたも

 

 

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